このところ 仕事の関係で「ことば」について
考えることが多い。「ようだ」と「らしい」の違いの説明に悩む毎日だ。
「はい」と「ええ」と「そう」の違いから始まったこの本では、名前と音の分析から、商品名と時代背景までもを科学的に語っていく。
くどいほど丁寧に。
しかし、言わんとするところは、引用させていただいた文章にあるのではないかと思う。
中島みゆきは いのちの別名をこころと呼んだが、世界の別名はことばと言えるかもしれない。
始めにことばありである。
ここから引用
「世界は、脳の中にある ことばは認知の核であり、認知とは、脳に世界観を作るための基本ツールである。脳の機能性から言えば、「ことばが世界を作る」と言っても過言ではない。「世界」は外にあるのではない、脳の中にあるのである。 だって、一つの風景に、脳は違う世界を見る。第一章に述べたが、同じ花木の風景を、「サクラ」と呼ぶのと cherry blossom と呼ぶのでは、切り取る風景が違い、託す思いが違い、想起する心象風景が違う。 現実の世界は、脳が見る世界のモールド(鋳型)にしか過ぎない。脳が見る世界こそが、真実の世界である。 面白いのは、自然や人が「現実の世界」に手を加えて、モールドを時々刻々、変えていくことだ。「現実の世界」は、ひとときも留まらない。その変化するモールドを見て、脳ごとの「真実の世界」が展開されていく。 私は、夜桜の下に立つ人の数を数えて、その脳の数だけの「世界」が今ここで展開していることに、感動してしまう。私にとっては、サクラの下に人が立つ光景そのものが、万華鏡のようなアートに思える。実際に見えるわけじゃないけれど、そうであるだろうと感じるアートだ。さらに、サクラということばが、それぞれに違う脳内世界に、そうは言っても、くっきりと共通の方向性を作り出していることにまた、胸がいっぱいになる。 ことばとは、かくも深く、「脳」と「世界」の深層に関わっているのである。 私たちが、世界に出会うために生まれてきたのだとしたら、それは「ことばに出会うために生まれてきた」と言い換えてもいいのではないだろうか」